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遥かなる絆:最終回「ふたたびの河」 [ドラマ「遥かなる絆」]

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前夜にあった前宣を偶然に観て、余りにも泉ピン子に笑わされたもので、
ふと興味が湧き、この最終回の前にキムタクの新しいドラマを観ました。
そして映像も音楽も、賑やかで煩いほどだったそのドラマの後でこれを観て思ったのは、
わたしはやはり、しっとりと心の奥深くに沁み込むような、
こんなドラマの方が好みだということでした~ピン子さんごめんなさい![わーい(嬉しい顔)]

「遥かなる絆」最終回のハイライトは、幹が養母との再会を果たすシーンだったでしょうか?
ただ、その14年ぶりに「ただいま」と養母と抱き合う感動的なシーンで、
急に背が低くなっているのが気になり、やはり、もう少し似させた方が良かったのでは?
などと余計なことを思いながら観てしまったのですが・・・[ふらふら]

玉福が出て来た時とちっとも変らない懐かしい牡丹江の家を家族で訪れ、
養母との感動的な再会を果たし、日本で一緒に暮らさないかと幹が問い掛けます。
すると養母は死ぬなら知らない所ではなく、自分の国で死にたいと答えるのです。

このシーン、良かったですね。わたしは観ていて心が暖かくなり、そして嬉しかったです[揺れるハート]
やはり養母のことがずっと気になっていたんですよね。
その言葉をかけた幹に「よくぞ言ってくれた!」と息子としての優しさを感じ、
またそんな夫の気持ちをよく理解して、
寝床の中で夫と養母の会話を聞きながら涙する妻陵子がとても素敵に見えました・・・[ぴかぴか(新しい)]

ということで、この他にも春華の自分を責めながら幹に電話するシーンや、
凍った牡丹江を眺めながら孫玉福の娘に生まれて誇りに思うという久枝のシーンにも
ウルウルしっぱなしで感動しながら観たのですが[もうやだ~(悲しい顔)]
この最終回では、今まで存在感の薄かった幹の妻陵子が1番気になったわたしです。

演じるのは森下愛子さん、最近は母親役でよく見かけますね。
陵子は幹よりも10歳も年下ということで、明るく若々しいお母さんを好演なさっていました。
そしてそんな陵子のセリフでわたしが1番心惹かれたのは、
娘の久枝が父のことを知ろうとする姿を見て言ったお父さんは本当に幸せ者よです。

これね、じつはこのドラマを観出してからわたしもずっと思っていた事なのです。
確かに普通ではなく、数奇な運命を強いられた父だからこそとの思いもあるでしょうが、
この世の中に、自分の父親の事を知ろうとする子供はどれ程いるでしょう?
ただ漠然とどんな環境で育ったかは聞かされていても、
その子供時代や学生時代の話など自ら知ろうとする子供は少ないと思うのです。
現にわたしなども母から聞くだけで、元々、無口な父でしたし、
聞いてもどうせ話さないだろうとの思いもあり、自ら聞いた事はありませんでした。
ですから、すでに亡くなってしまった父ゆえ余計に、このドラマを観ながら、
わたしももっと父の事を知っておきたかったと後悔に似た気持ちを抱いたのです。
そして、お父さんの幹さん同様に、
父のことをこうやって語れる娘の久枝さんも幸せだと思い、
ふと、羨ましく思ったのでした・・・[揺れるハート]

このように、わたしが観終えて思ったのはドラマの主題からは少し外れるかもしれません。
でも久々に母と息子、そして父と娘それに家族の絆と、
中味の濃い家族愛を描いたドラマを観たように思います。
そして、そんな自分のためにドラマの最後の一文を添えさせてくださいね。

いつか私が自分の子供を持ったとき、
この父の物語をあってはならない戦争とともに語り継ぎたい

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遥かなる絆:第5回「果てしない旅」 [ドラマ「遥かなる絆」]

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先週は牡丹江の母に泣かされましたが、今週は八幡浜の母に泣かされました・・・[もうやだ~(悲しい顔)]

1970年4月12日、羽田空港でたくさんの報道陣に迎えられた玉福、いいえ城戸幹です。
そして、幹か~?との父の第1声、
語尾を少し伸ばした言い方が待ちに待った我が子との再会の場をとても印象付けたようです。
また、八幡浜駅のホームでの母との再会では、
母と子が深くお辞儀をするのに、何とも日本らしさを感じ、
その後、おずおずと手を握ることしかできない母に、
牡丹江の母のようにシッカリと抱きしめてやればいいのに~と心の中で思いつつ、
そんな母の本心はきっと抱きしめてやりたいだろうにと、ウルウルしながら観ておりました。

じつは、こういう母との別れや再会のシーンには、同じアジアでもお国柄があるように思うのです。
わたしが今まで観てきた中国や韓国の映画などでは、
大抵の母が目の前で声をあげ、号泣して感情を露にしていました。
でも、日本の母は声を押し殺し、そう与六の母の藤のように影に隠れて泣くのです。
それで今回、このドラマでもその部分に注目して観ておりましたが、
二人の母の感情の表し方で、その国の違いがハッキリ出たように思いました。

さて、ようやく肉親と八幡浜で暮らし始めた幹ですが、先ずは言葉の壁ですよね。
いくら実の家族との暮らしとはいえ、孤独だったでしょうね・・・
そして、たったの1ヶ月が過ぎた時、焦りから大学進学を願い出るのですが、
父にはまだ時期尚早とはねつけられ、益々、追い詰められて今度は自立を考えるのです。

それにしても、いくら親戚の口利きだといえ、言葉も不充分だというのに、
帰国して3ヵ月後には実家を出て松山で自立するのですから、やはり幹さんは強い人です。
仕事にしても日常生活にしても不安だらけだったでしょうに・・・
ただ、その自立のお陰で奥様と巡り合うことができ、家庭を築くことになるのですから、
やはりそれは幹さんにとってのターニングポイントだったのでしょうね。

ところで今回は、実の両親を演じた浜畑賢吉さんと伊藤榮子さんに注目しました。
御二方とも、若い頃より観せていただいておりますが、
今回、初老の役を演じてらっしゃるのを見て、
自分も同じ様に年をとったという現実に今更ながらに気付かされました。
特に浜畑さんはいつの間にやらお爺ちゃん役がサマになり、驚いたのナンのって~[がく~(落胆した顔)][あせあせ(飛び散る汗)]
あっ、他人のことは言えませんね!みんな同じなんですから~~[ふらふら]

そして、そんなお二人の演技に真実味があり・・・
浜畑さん演じる元軍人で頑固者の父弥三郎が、昭和の父親像を懐かしく思い出させてくれました。
そういえば、うちの父も仕事から帰ってくると、弥三郎のように和装に着替え、
背筋をシャンと伸ばし絶対に胡坐をかかず、必ず正座をしたものです。
また、おとなしく耐える娘役が多かった伊藤さんは、今もイメージはそのままで、
髪型といい、ゆったりと着た着物姿といい、
ああ、そうそう!1年中、和服姿のこんなオバサンいたよな~と、
自分の子供時代を思い出し、懐かしさを感じながら見せていただきました。
御二方とも実際の年齢は存じませんが、円熟味を増し素敵な俳優になられたのですね・・・[ぴかぴか(新しい)]

それにしても、一変に髪の毛が白くなってしまった養母が不憫でなりませんでしたが、
来週の最終回ではその牡丹江の母との再会もあるようです。
そして、劉にプロポーズ?された久枝ですが、もう1年牡丹江に残ることとなり、
さてさて、来週はこの二人のこれからにも注目ですね~[ひらめき]

それから、虹子さん情報で知った時にはすでに終了で残念ながら見逃したのですが、
若き幹さんを演じたグレゴリー・ウォンがNHK「土曜スタジオパーク」に出演したそうです。
またその時の様子はどこかで見られるでしょうが、
こちらにも彼のインタビュー記事がありますので興味がおありの方はぜひ、どうぞ!
なかなか素顔もイケメンで、何でも水川あさみちゃんの大ファンだそうですよ~~[揺れるハート]

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遥かなる絆:第4回「牡丹江の別れ」 [ドラマ「遥かなる絆」]

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いよいよでしたね~この4回は涙した方も多かったのではないでしょうか?
あの牡丹江駅のホームでの別れ、泣きましたね~[もうやだ~(悲しい顔)][たらーっ(汗)]

玉福の出国が拒否され2年が経っていました。
1969年というと、まだまだ文革の嵐が吹き荒れていた時代です。
でもこのドラマでは、姿なき監視者の存在が恐怖感を漂わせていましたが、
当初、わたしが考えていたほどには、それに関しての描写は少なかったように思います。
で、その理由として、牡丹江は確かに農村ではなく街だけど、
北京や上海や広東ほどには大都市でなかったからかしら?とも思ったのですが?
関係ないのかな~??[ふらふら]

そして、ここでちょっと余談です・・・
以前、北京オリンピックの開閉式の演出を担当した、
チャン・イーモウ監督の10年間に及ぶ、文革時代のインタビュー番組を観ました。
西安で生れたチャン・イーモウ監督は父が国民党員だったため、
良い仕事にもつけず貧しい子供時代を送ったそうです。
そして、1966年18歳の時文革が始まり、3年間農村へ下放され、
21歳から文革が終焉する28歳までの7年間は、紡績工場で労働者として働いたそうです。
当時を振り返り、自分の主張も持てず自分の運命を自ら決める事もできず・・・
人間の悲劇、社会の悲劇、民族の災難を生き抜いた。
そんな青春真っ盛りの時代がモノクロだったからこそ、
その反動で今は綺麗で鮮やかな色彩美に目が行くと笑って語っていたのです。

この監督の話から察するに、玉福は労働者で救われたこともあったかも?
また、1970年には帰国できたのですから、まだ不幸中の幸いだったかも?と思ったのですが・・・

ただ、そうは言っても実の親も判明し、
あとは帰国するのみだったのが2年も経過しているのですから、
その間の焦りや喪失感を思うと、お酒でも飲まなきゃやってられないでしょう・・・[ふらふら]
でも、彼はひとりぼっちではなく、彼には叱ってくれる母がいたのです。

玉福の頬をひっぱたいて、生きて日本へ帰りなさい!と母は励ましますが、
心の中は張り裂けんばかりに辛かったでしょうね。
そして、そんな母の心の中を玉福もちゃんと察していて・・・
あんなことまで言わせてごめんなさいと翌朝、母に謝る姿に玉福の母を想う真の愛を感じました。

そして、ようやく出国の許可が下り牡丹江駅のホームです・・・
発車のベルが鳴る中、行かないで!としゃがみ込む母、そんな母を見るに見かねて抱きしめる玉福、
もう、どうなるのかと涙しながらドキドキして観ていたのですが、
親友たち二人が親子を引き離すようにして列車に放り込んだのでした・・・[もうやだ~(悲しい顔)]

玉福がいなくなってから、病気になるほどに辛い思いをした養母淑琴のもとへ、
いとこの娘である10歳の春華が来たと久枝に話していましたが、この春華も貧しい家の生まれで、
口減らしのため2歳の頃より親元を離れ、親戚の家を転々としていたと知り、
彼女にも辛い過去があるのだと久枝と共に我々も知りました。

それにしても、そんな小さい頃から親元を離れ苦労していても、
ちゃんと母や家族への愛情は持ち続けている春華、これこそ家族の絆でしょうね。
春節が済み、母を見送りながら抱き合う彼女らを見ながら、
昨今のニュースで目にする家族間での殺害という、
悲惨な日本の現状を憂いずにはおれませんでした・・・

母との別れ以外にも見所があり考えさせられたこの4話、
ご覧になった皆さんは、どんな思いを抱かれたでしょうか?

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遥かなる絆:第3回「祖国へ」 [ドラマ「遥かなる絆」]

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留学して3ヶ月が経ち、久枝は劉成の紹介で日本語教室を手伝うことになりました。
そこは帰国を控えた残留孤児やその家族のために日本語を教える教室だったんですね。
そこで、そんな生徒の1人で、眼科医という安定した職場があるにもかかわらず、
生活に不安がある日本へ帰国するという生徒に、その理由を尋ねるのです。
すると彼は、中国に昔からある言葉を教えてくれます。

葉落帰根
葉は落ちて根に帰る

他郷をさすらう者も落着く先はやはり故郷だという意味で、
「わたしは本当に日本へ帰りたいのです!」
と残留孤児の一途な思いを、初めて久枝は聞いたのでした。

そしてそれは、もちろん久枝の父幹も同じ思いで、
とにかく自分は日本人だ!日本の本当の両親に会いたい!と6年間、
日本赤十字社に200通もの手紙を送り続け、ようやく1通の返事が届いたのでした。

すると、それには実の両親を捜す準備があるから、分かる事を知らせるようにとあったんですね。
でも、玉福が覚えているのはわずかな事だけです。
それで、玉福を養母の元へ連れて来た占い師が、何か知らないかと訪ねて行くのです。

初めは養母のことを思い、何も教えなかった占い師ですが、
結局は、たとえ日本に帰っても母の恩を忘れない男だと信じるからと、
知っていることを教えてくれ、直ちに日本赤十字社にその旨の手紙を送ったのです。
そしてその間、また月日を費やし、ようやく愛媛に住む城戸弥三郎の長男だと判明するのですが、
そうなるとなったで・・・養母との別れや養母のこれからの生活も心配と、
辛い思いにかられる玉福だったのです。

それにしても、当局の検閲によって破棄される可能性もあるわけで[がく~(落胆した顔)][あせあせ(飛び散る汗)]
同じ内容の手紙をいろんな場所から投函したとありましたね。
我々なら他人の手紙を勝手に破棄するなんて考えも及びませんが、
何事も検閲された時代です。ましてや日中国交前の日本への手紙ですものね。

そんな苦労があり、ようやく親子だと判明し、帰国の手続きも順調に進んでいるかと思いきや、
今度はあの文化大革命のお陰で、出国の許可が下りなくなってしまうのでした・・・

ところで、愛媛に住む両親を久々にお目にかかる浜畑賢吉さんと伊藤榮子さんが演じてましたが、
死んだと思っていた息子が生きていると知り幹は生きとったらいくつになったとの父の問いに、
24歳と11ヶ月ですとよどみなく答えた母がとても印象に残りました。
ずっと、忘れずに・・・いえ、忘れられずに過ごしていたのでしょうね・・・
そんな母を演じる伊藤さんの涙にこちらもウルウルしてしまいました[もうやだ~(悲しい顔)][たらーっ(汗)]

また、久々にお目にかかるといえば、
久枝の教室へ30年前の父を知っていると訪ねてきた老婦人池谷美和子役の方、
ナンカ懐かしくて、この方知ってると思いながらなかなか思い出せなかったのですが、
エンドタイトルでの出演者の名前でようやく思い出しました。
長年、名脇役として舞台、映画、ドラマなどで活躍されてる大塚道子さんでしたね。
随分、髪が白くなってらっしゃいましたがとてもお元気そうで、
相変わらず特徴のあるハッキリとしたセリフ回しで、とても懐かしく思いました。

それから今話は、せっかく親しくなった久枝と劉成の間にも亀裂が生じましたね。
劉成が言った君は歴史を知らな過ぎる
これはまさしく久枝がクラスメートに言われた言葉と同じです。
時代の波に翻弄され、その波から逃れることもできず犠牲となった人達、
そんな人達の苦しみを理解できるなどとは、
たとえ娘でも簡単に口にしてはいけないと久枝は悟るのですが、
ここは観てるわたしも久枝と同じ様に気落ちしそうになりました。
この世の中、確かに経験者でないと分からないことは山ほどあります。
ただ、経験してない事が罪という訳では決してないしと・・・

でも父と娘の親子愛も描くこのドラマは、そんな重苦しい気分では終わりませんでした。
娘の誕生日にかけた電話の最後に言った父の言葉、
まだまだお前は子供や
この父の愛情溢れた言葉に救われた思いがしたのは[揺れるハート]
きっと、わたしだけではなかったと思うのですが・・・

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遥かなる絆:第2回「日本孤児」 [ドラマ「遥かなる絆」]

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車到山前必有路
車山前に到りて必ず路あり
この第2回「日本孤児」ではこの言葉がキーワードでした・・・

吉林大学へ留学した久枝に送られた父からの初めての手紙にあったこの言葉、
どんな事があろうとも、これまでの自分に誇りを持ち、
自分の路は自分で切り開きなさいとの父からの教えでした。
なんとなく留学はしたものの、
言葉の壁や日本人バッシングなどで落ち込んでいた久枝の心にもこの言葉は響いたようです。
そして、この言葉を娘に送った父自身もこの言葉を心の支えとしていたのです・・・

中学を優秀な成績で卒業した玉福は牡丹江一の進学校である高校に通っていました。
そして、大学受験を控えて願書を提出することとなり、
サスガ多民族国家の中国です。自分の民族を書き込まなきゃいけないんですね。
それで1度は「漢民族」と書いたのですが、優秀な玉福を妬んだ級友の言葉、
自分が日本人だとも言えないのに、国に忠誠を尽くす事なんてできないが発端となり、
嘘をつきたくないという純粋な気持ちから「日本民族」と書き直し提出したのです。

でもそれは、当時の中国では認められず、案の定、それが原因で大学受験に失敗します。
そんな時、高校の沙先生に送られた言葉が車到山前必有路だったのです。
車が道を見失った時でも必ず山を通り越せる道はあるから、
どんなに苦しくても元気を出して前へ進みなさいと・・・

その後、田舎へ戻り傷心の毎日を送っていた玉福ですが沙先生の紹介で中学の臨時教員となり、
働きながら再度の受験のためにと、また牡丹江へ行くのです。
でもその頃から、養母には感謝しつつも日本の実の両親のことが気にかかり始め・・・
自分の国籍を日本と選んでからは余計にその気持ちが大きくなり、
日本の赤十字社へ手紙を書くようになるのでした。

でね、この日本国籍を選んだばっかりにまたもや大学受験には失敗し、
ましてや公務員である臨時教員の職までも失うのですが、
その後、重労働の木材工場で働くようになり、収入が増えまた2人の親友にも出会い、
田舎の母を自分の元に呼び寄せて、楽をさせてやりたいと思うようになるのです。

この丸太に座って親友となった立政と話すシーン良かったですね~[ぴかぴか(新しい)]
何でもマイナス16度の中での撮影だったそうですが、
玉福の話を聞く立政の横顔が映り、その彼の目からは涙がポロリと落ち、
その涙がキラリと光って・・・[ぴかぴか(新しい)]
ああ、観てるこちらまでグッときてしまいました~[もうやだ~(悲しい顔)]
あの見るからに寒そうな張り詰めた空気の中で、そこだけポッと暖かな時間が流れたようで・・・

ところで、この若き玉福を演じるグレゴリー・ウォン、香港の若手俳優とのことですが、
涼しげな目元が印象的なイケメンで、これからこのドラマの中心人物になるそうですよ。

それにしても、農村から都市へ戸籍を移すのがそんなに大変な事とは!!
わたしなどは考えも及びませんが、勝手に住む所を変えてはいけないのでしょうか?
ドラマの中では前代未聞のような言われ方をしていましたが、
東奔西走しながらそれを成功させた玉福の心の中にあったのは
車到山前必有路という言葉だったんですよね・・・

わたしの耳ではチュウダウシァンチェンリーヨーウルと聞こえたのですが、
何とも響きのいい言葉ですね~[揺れるハート]
あっでも、間違ってるかもだわ~!?[ふらふら]

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