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野口久光 映画ポスター展 [ミュージアム]

体調はイマイチながら、気分転換も必要と、
友人が好きそうだからと持って来てくれたチケットを手に、
同じく好きそうな次姉を誘い、西宮市大谷記念美術館まで出掛けました。

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こちらの美術館を訪れたのは初めてでしたが、
意外なほどに閑静な住宅街の中にありビックリしたわたし達・・・
ましてや、玄関も人気がなく恐る恐る入館したところ、
何でも、ホテルニューオータニの創立者である
大谷米太郎の片腕として働いた、実弟大谷竹次郎より、
約2400坪の邸宅と絵画コレクションを西宮市が寄贈され、美術館となったそうで~[ぴかぴか(新しい)]
ロビーの目の前に広がる手入れの行き届いた庭園にしても、
久々に訪れたお金持ちのご邸宅の趣きでございました。

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岡本太郎「午後の日」1967年作
玄関脇のスペースに何気なく展示されておりました。

野口久光 シネマ・グラフィックス/街の中のもう一つの絵画
追憶の映画ポスター展
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幼稚園の頃から、年の離れた長姉の映画館での痴漢対策のため、
訳の解らない大人の映画にも一緒に連れて行かれていたわたしは、
同年代の子供の中では少し変わった子供でした。
だって、そんな姉の影響で年がら年中、映画関連の雑誌を読みふけり、
わたしが初めて異性を意識したのは、
「ローマの休日」でお馴染みのウィリアム・ワイラー監督の
「友情ある説得」でデビューし、「のっぽ物語」でチェックのシャツが爽やかに似合った、
通称トニパキことアンソニー・パーキンスだったのですもの~[揺れるハート]

そんな訳で、学校から帰ってオヤツ片手にいつも「名画座」というTV番組を見ていたのです。
ちょうど、3時から始まるその番組では、
ハリウッド映画が台頭する前のフランスやドイツなど、欧州映画を放送しており、
自分が生まれるず~っと前の映画に見入っていたのですが、
そんな数々の映画の日本公開において、ポスターを手掛けたのが、
東京美術学校(現東京芸術大)在学中から映画評論を執筆し、卒業後は、
欧州映画を輸入公開する東和商事(現東宝東和)に入社した野口久光さんだったのです。

という訳で、どんなポスターがあるのだろうと楽しみにしていたのですが、
実際に目の前にすると、その野口さんの作品を楽しむというよりは・・・
姉と二人でポスターよりも映画自体の思い出話に花が咲き、
懐かしくて楽しいひと時を過ごしたのでありました~[るんるん]

展示は年代別に別れており、入口を入って1枚目は、
1933年のドイツ映画「制服の処女」でした。
ちなみにこの頃は戦前公開なので、横書きは右からの時代ですのでご注意を!
でね、わたしがこの映画を見たのは前出の「名画座」でだったんですよね。

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すでにもう、ストーリーはハッキリとは憶えていませんが、
寮生活をおくる女学生が女教師に憧れ恋するという同性愛がテーマでした。
ただ、当時はまだ、そんな言葉も知らなかったわたしは、何も考えることなく・・・
ただただ、螺旋階段の上段から女学生が飛び降りるシーンだけが今でも頭に残っています。

そうやって、1930年代から見始めたものの、
サスガに姉もわたしも戦前の作品に関しては、見知った物が少なく、
タイトルを確かめただけで足早に、見憶えのある戦後へと進みました~[ダッシュ(走り出すさま)]

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この中では、何と言っても、クラシックギターを手にしたなら必ず真似たであろう、
物悲しいギターの調べが有名すぎる「禁じられた遊び」が有名ですね。
ただ、アレは撮影費が掛かり過ぎサントラのオケ代が無くなったからの副産物だそうですが・・・

そしてこちらも同じく音楽も有名ですキャロル・リード監督の「第三の男」

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アントン・カラスのチターの音色が独特な雰囲気を醸し出し、
サスペンスタッチのこの映画にとても合っていましたね。

それから、この映画は未見なのですが、
こちらの右端にある1960年のフランス映画「大人は判ってくれない」

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これはわたしにとっては、フランス映画というとこの人を1番に思い出す、
ヌーヴェルヴァーグの旗手フランソワ・トリュフォー監督の長編デビュー作です。
家庭に恵まれず、少年感化院に入れられたことがあるという
トリュフォー監督の自伝のような内容だそうですが、
この野口さんが描いた日本版ポスターを自室に飾るほどに気に入って、
後に監督した「二十歳の恋」の中では、
ポスター原画を小道具として登場させたそうですよ。
うぅ~ん、これ程気に入って貰えて、
きっと、描き手である野口さんもさぞかしお喜びだったでしょうね。

そしてポスター展の最後は、映画のラストにグッときたのを思い出しますね~[もうやだ~(悲しい顔)]
キャサリン・へプバーンとロッサノ・ブラッツィの「旅情」でしたが、
ポスターは全部で120点もあり、その他に俳優たちのポートレートや、
小さな字で綺麗に手書きされ、一瞬、印刷したのかと思った学生時代の映画ノート、
また、雑誌の表紙絵など、多数の資料展示もありました。
それと、これらの映画の公開当時の予告編などの映像もあり、
ご年配の映画好きが懐かしそうにご覧でした。

残念ながら野口さんも、94年に80歳半ばで亡くなられたそうで・・・
今頃はきっと、お友達だった淀川長治さんと二人、
愛する映画の話で盛り上がってるかもですね~[るんるん]

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天空の白鷺 [ミュージアム]

前記事の宝塚の次は、歴史博物館の真正面に見えていた姫路城です。
ただ、大天守は皆さんもご存じのように修理中です。
が、しかし~今回は姫路城さんも考えましたね!
せっかく世界遺産となったのに、修理中の観光客の減少に何かイイ手はないか?
と、考えたのかどうか?は知らないけど・・・
ナント!修理の過程や職人たちの仕事ぶりをも見て貰おうと!?
その名も天空の白鷺という、
グッドネーミングの修理見学施設を作ったんですね~[ひらめき]

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大天守をスッポリと素屋根で覆い、壁面には約800枚のメッシュシートを取り付け、
南と東には大天守の線画が描かれています。(上の写真は東面)

わたしは前もって予約しておいたので、そのメールコピーを見せ、
入口では入城料の600円と天空の白鷺の入場料200円、計800円を支払いました。
そして、いの門からいつもの見学コースでは帰りとなる、
扇の勾配を左にしながらぬの門をくぐり、今まで一度も公開されてない、
リの一渡櫓(りのいちわたりやぐら)へと向かいました。

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中には、今までの部材や古瓦などが展示されており、
それらはこれからも大事に保存されるそうです。

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右は、破風の上部に装飾として付けられた懸魚(げぎょ)の一種で、
左は大天守二層の蕪懸魚の中央上部に付けられた六葉(ろくよう)です。

そして、コレは素敵な展示だと思いましたが・・・
きっと、海外からのお客様向けでしょうね!?
リの一渡櫓に隣接したチの櫓には、色とりどりの甲冑の展示がありました。
ライティングも素敵で幻想的でもありましたわ~[ぴかぴか(新しい)]

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ところで今回、修理中の公開ということでか?驚くほどに係員の数が多く、
要所要所に配され、その方達がまた愛想のイイ方を特別に選んだのか?と思える程で、
必ず皆さん、「こんにちは」と声を掛けてくれ、何とも気分良くて~[揺れるハート]
思わず子供の頃、父と歩いた山道でのすれ違いざまに交える挨拶を思い出しました。

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そうやって気分良く、お菊井戸を通りぬけ、
ようやく天空の白鷺の入場口へと到着しました。

中は8階建てとなっており、7階と8階が見学スペースとなってます。
それで一面ガラス張りのエレベーターに乗り、8階まで上がり・・・

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残念ながら職人さんの姿はありませんでしたが、
まさしく最上層の大屋根を目の前にして、不思議な気持ちになりました。
また、ここのフロアには瓦屋根の模型や解説もあり、
屋根目地漆喰を盛り上げるように塗るのは、風や揺れへの補強はもとより、
均等間隔に塗られたそれらの幾何学模様を思わせる美観上の効果もあるのだと知りました。

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その後、7階に下りて壁面修理の見学をして、
昨年、塗替え中の西の丸で左官さんに材料の一つに麻があると聞きましたが、
その他には消石灰と貝灰、その三つを海藻糊で練り上げて漆喰となると知りました。

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7階からリの一渡櫓を見下ろして・・・

これで天空の白鷺とはお別れして、天守閣の3階までは上がられるということで、
素屋根に覆われ薄暗い中を見学したのですがそちらや西の丸については、
昨年のこちらの記事に記してありますので、よければご覧くださいね。

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昭和の大修理から約半世紀が経ち、
世界文化遺産・国宝を築城時そのままの美しい姿で次世代へ引き継ぐため、
約5年の年月をかけて保存修理を行うそうです。
そして、この修理をすることで、
こんな特殊な技術を要する職人を育てる意味もあるんですね。

昔ながらの良き物の伝承が行われる・・・
素敵なことだな~と思いつつ、修理後の白鷺城が楽しみになったわたしです~[るんるん]

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偶然見付けた城周辺観光ループバス
詳しくはこちら

宝塚歌劇100周年間近! [ミュージアム]

6月12日まで、兵庫県立歴史博物館で特別展示されております・・・


わたしが好きそうだからと、わざわざ友人がチケットを届けてくれ、
同じく興味を持つ姉を誘い、昨日、雨の中出掛けました。
やはり、衣装展と聞くと、たとえヅカファンでなくても大いに興味があるもので~[揺れるハート]

宝塚歌劇は大正3年(1914)「清く正しく美しく」をモットーに、
初めての公演を行い、もうすぐ100周年を迎えます。
それで、その創設から現在に至る歴史の紹介とともに、
舞台衣装や舞台装置、また公演映像など多数、展示されていたのです。

何てったって~好き嫌いに関係なく、
宝塚歌劇というと、兵庫県の近代史を彩る文化ですものね~~[ぴかぴか(新しい)]
そりゃ、兵庫県の歴史を紹介するための歴史博物館ですからこの特別展はご尤も!

という訳で、創設当時からの白黒舞台写真や、
何処かで見たことあるような?スターの写真がズラリと並べられていたのですが、
いかにせん、古過ぎとスターにイマイチ興味がないもので、
舞台衣装の展示コーナーへ来て、ようやくテンションが上がった次第です~[るんるん]

で、先ずこちらは2009年『Amour それは・・・』での
初舞台生のラインダンス時の衣装です。

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音楽学校を卒業して初めての舞台では、
必ず生徒全員でのラインダンスがあるのは有名ですが、
こちらは2009年度版で、白と赤の初々しさを感じる衣装でした。

そして何故ここに、こんな赤いバラのアーチがあるのか?
と不思議に思いながらくぐり抜けると・・・
なるほどね~~そうでした!
『ベルサイユのばら』のコーナーだったんですね。
とにかく、宝塚歌劇の中でも一大センセーションを巻き起こした作品ですから、
大いにご覧くださいませとのことのようで!?

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アンドレとオスカルの衣装が並ぶ前には、
フェルゼンとマリー・アントワネットのもあり、
舞台で使われたのと同じ馬車までありましたよ。

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また、それらの衣装のデザイン画まで展示されており、
わたしは一つづつ見入って参りました。

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それに、舞台衣装をこんなに間近で見るチャンスもそうないので、
フェルゼンの後ろ姿もシゲシゲ見て、
ふむふむ、レースに小花やスパンコールの縫い付けなど仕事も細かく、
これにライトを当てるとキラキラするんだな~なんて感心しながら見たのでした。

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そして、お次は『風と共に去りぬ』のコーナーとなり、

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この時は、バトラーを演じるスターが付け髭をするかどうかで一悶着あったっけ~[ひらめき]
なんて、当時の思い出を語りながら観て回りました。

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そして最後に、宝塚名物でフィナーレに登場する大階段のコーナーです。

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こちらでは、なりきりタカラジェンヌとばかりに、
オーストリッチの羽飾りとシャンシャンを貸してくれ、記念撮影ができるとのことで、
最初は、結構です~~[あせあせ(飛び散る汗)]とお断りしたのですが・・・
何分、お客様がおらず、手持無沙汰だったのか?
学芸員の方の熱心なお誘いに根負けして!?
ここぞとばかりに姉妹して、なりきりタカラジェンヌと化したのでありました~[ぴかぴか(新しい)]

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いやぁ~元々、ノリがイイもので~~[手(チョキ)]
不慣れなポーズに姉が思わず「足がツル~」と言ってましたが~[ふらふら]
ナカナカの出来ではないかしらん!?

ところで、この羽飾りですが、
とても軽くランドセルのように背負うだけなんですね。

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でね、お暇そう?な学芸員の方がおっしゃるには、
我々がお借りした1キロほどの軽いのでも、
本物のオーストリッチでナント!48万円なんですって~~[目]

で~驚いたことに、それがトップスターともなると・・・

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オーストリッチではなく、ギンケイというもっと華やかな羽も付き、
重さもウンと重く、15キロにもなるそうです。
いやぁ~、トップともなれば、体力もなきゃいけませんね・・・

そうやって、自分達の写真を見て大笑いするうちに特別展のコーナーは終わり、
あとは常設展を見ることにし・・・

鉄人28号やウルトラマンがいるこどもはくぶつかん

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ひょうごのまつりでは、白浜のけんか祭りで使われる屋台や壇尻(ダンジリ)、
そして播磨や但馬に伝わる獅子舞の獅子頭などを見て・・・

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最後に、姫路城と城下町のコーナーとなりました。

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こちらには、国内に現存する十二天守の50分の1の模型があり、
先日訪れたばかりの犬山城もありましたが、やはり小さかった~[わーい(嬉しい顔)]

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それにしても、城下町のジオラマを見ていると、嫌でも仁先生を思い出してしまいます。
咲さんとの仲も気になりますが、今週は最後に姿が消えてしまい!
あの少女と仁先生との関係は?
さて、来週はどうなるのかと気になって仕方ない!!

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そして、こちらも以前より気になっていた、お城の石積みの模様です。
車もクレーンも何もない時代、あるのは人力だけの頃・・・
あんなに大きくて沢山の石を一体どうやって運び積んだのか?

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こちらの解説によると、
大きな石は、ソレ用の木のソリに載せ、丸太やヌルヌルした海藻を下に敷き、
滑らせながら大勢で引っぱったとありました。
それと石を運ぶ船には、樽などで浮力を付けたんですって!
いやはや、原発云々の今日この頃・・・
それ以外でも他の方法があるのでは?と、昔の人の知恵をお借りしたくなりますね。

平日で、お天気も悪いということでか?人の少なさをいいことに、
そばにいらした学芸員の方とお喋りしながらゆっくりと見学でき、
とても楽しいひと時を送ることができました。

そして、ここまで来た以上、向こうに見える修復中の大天守へも行かねばと!
大天守の修理見学施設である「天空の白鷺」へとつづく・・・

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江戸KIMONOアートへ [ミュージアム]

前回記事にしたNHK大阪「江~姫たちの戦国~」全国巡回展の前に、
明後日11日(月)までですが、
大阪高島屋7階グランドホールにて開催中のこちらにも行きました。

江戸KIMONOアート

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現在の着物の原型が確立されたのは、
茶の湯や南蛮貿易の影響から、
華やかな美術工芸品などの登場で桃山文化として栄えた、
江たちの生きた桃山時代だと言われています。
この時代には染めや織りの技術も急激に発展し、緻密な細工物が多く世に出ました。
その中には、短い間にパッと流行り、
その後、忽然と消えてしまった幻の染といわれる
かの「辻が花染」もあるんですね。

それが江戸時代に入り泰平の世となり、
武士だけではなく町人文化が栄えたことも大きいのでしょう。
元禄文様に代表されるように、明るい色調で金糸銀糸も多く用いられ、
一気に華やかで個性溢れる着物が着られるようになったのです。
解説には「江戸のアヴァンギャルド」とありましたが、
まさしく泰平の世を謳歌した、
当時の洒落人の自己表現のひとつとしても発展したのでしょうね。

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今回、こちらに並べられていたのはみな200年以上前のものですが、
高度な職人の手仕事による高級感溢れる絢爛豪華な品々で、
時代の古さなど微塵も感じず・・・
どれもこれも現在に生きる我々が袖を通しても何ら違和感なく、
まるで一つのアート作品を見るようで
斬新なデザインや豪華な装飾に見入ってきたのでした・・・

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とまあ、そんな豪華な衣装を見た後で浅井三姉妹の衣装を見たもので~[ふらふら]
何とも味気なく思ってしまったのは仕方ないですね~~[あせあせ(飛び散る汗)]

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江たちの時代はまだ、このように細帯を巻いていましたが、
江戸時代には細帯よりも意匠の凝った太幅の帯となり、
結び方もいろいろと考案され、
現在のような帯揚げや帯締めも用いるようになったそうで、
益々華やかさを増したのですね~[ぴかぴか(新しい)]

あ~そういうことで・・・
未だに思い出すのが、大奥入り後の「篤姫」で、
宮崎あおいちゃんがお召しになった衣装の数々です。
特にわたしが強く覚えているのが、
夏の場面での涼しげな白地の呂に色とりどりの花柄が刺繍された振袖です。
若いあおいちゃんによく似合った何とも贅沢な一品で~~[ぴかぴか(新しい)]
今回の中にも、似たようなのがあり嫌でも思い出したのですが・・・
ねぇ~NHKさ~~ん、
今からでもいいから「篤姫」の衣装展もしていただけないかしら~~[揺れるハート]

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神戸に妖気じゃ~! [ミュージアム]

目玉おやじの「神戸に妖気じゃ!」との言葉につられ・・・
一昨日、ハット神戸にあります兵庫県立美術館へ行って参りました!

水木しげる・妖怪図鑑
2010年7月31日(土)~10月3日(日)まで

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とにかく、久々にヒットとなりましたNHK朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」人気で、
夏休みに向けて各地で水木先生関連の展示会が開かれていますが、
こちらは画業60周年と米寿を記念しての開催で、
鬼太郎をはじめ、長年に渡って描き続けた妖怪画にスポットを当てたそうです。

じつを言いますと、わたしは「ゲゲゲの女房」は途中から見始めました。
タイトルバックに登場する鬼太郎一家の愛嬌あるイラストや、
向井理くん見たさに、結婚式の辺りからチラ見はしていたのですが、
貧乏神に居座られる頃から面白くなり、毎朝楽しみにするようになったのです。
それで、鬼太郎の漫画なんか読んだこともなく、ただの繋がりというと、
昔、家族みんなで遊んだドンジャラが鬼太郎バージョンだったというだけですが、
劇中でも話題にしていた緻密な原画を実際にも見られるということで、
猛暑にも負けず、同じくゲゲゲの女房ファンの姉を誘い出掛けたのでした。

それと今回初めて知りましたが、水木先生の漫画家としての出発点は神戸なんですね。
何でも戦後、偶然に辿り着いた兵庫区の水木通りで、
「水木荘」というアパートを経営することになり、同時に紙芝居作家としてもデビューし、
その水木通りにちなんでペンネームも水木しげるとなったそうです。
まあ、少年時代もお父様の仕事の関係で西宮や篠山にもお住まいだったようで、
この辺りには馴染み深いお方なんですね・・・

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安藤忠雄設計の兵庫県立美術館
平成14年オープンでわたしは今回が初めての訪問でしたが、
海を目の前にして、何とも広々とした空間が気持ち良かったです。
ただ、その反面、ヤケに空間が勿体ないように思ったり、
一瞬迷いそうだなとも思いましたが・・・

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そして、一反もめんが出迎えてくれ、乗っかって記念撮影をどうぞ!ですって~[るんるん]
あっ、ただし60キロ未満の方までですけどね~!

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その後、60キロ以上でもOKのエレベーターに乗り3階まで行き、
第1章 水木しげるの妖怪図鑑では、
88種類の妖怪たちを里・山・水に分けて描いてあるのを見て歩き、
第2章 鬼太郎の秘密では、
鬼太郎とその仲間、それに漫画「鏡爺」の原画を見ることができました。
とにかく、緻密な背景に見入ってしまい、
気の遠くなるような無数の点で描かれたのを見ては、
「これはスガちゃんの仕事かしら~?」
はたまた、今までとはちょっと違うタッチの絵を見付けては、
「ここはクラさんが描いたのかな?」
などと、ドラマに登場する個性豊かなアシスタント達を思い出しながら見て回りました。

そして第3章 江戸時代の妖怪たちでは、百鬼夜行の絵巻など、
昔からある妖怪の紹介でしたが、こちらは水木妖怪とは違い、愛嬌がない!
ゆえに、オドロオドロしさのあまり、サササササッと見て歩き~[ふらふら]
第4章のゲゲゲの森の大冒険へと急いだのでした~[あせあせ(飛び散る汗)]
こちらでは絵に登場した妖怪たちが立体化されており、
「大かむろ」の前に立つと不意に風が吹くなど、楽しい工夫もなされており、
夏休みということでやって来ていた沢山の子供達も大喜びでした。

そうやって、1時間半ほどが経ち、足も疲れたからと併設のカフェでお茶することにして・・・

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オープンテラスの向こうには山口牧生作「日の鞍」がそしてその向こうには、
ハーバーハイウェイが見えるカフェ フォルテシモで抹茶ラテをいただきました。
ただし、抹茶の風合いは見事に0だったが~[パンチ]

それから、この日のみのようでしたが、北口入口では砂像彫刻家による、
鳥取砂丘の砂を使った砂像の製作実演がありました。

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砂と水のみで作られ、いずれは崩れて砂にかえる砂像、
そんな儚さの中にある美しさをご覧くださいとのことでしたが、
サスガに砂丘の砂は目も細かくて手触り良さげで~~[手(チョキ)]
思わずふと、撫でてみたい衝動にかられました~[揺れるハート]

兵庫県立美術館のHP
http://www.artm.pref.hyogo.jp/index.html

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